2016年もよろしくお願いします。
あっという間に新年を迎えました。
毎年言っていますが、去年はあっという間の一年でした。
「あっ」というのはどういう感情で発する言葉でしょう。
驚いたり、閃いたり、感動する時とか。
危険を感じた時にもでしょうか。
出来れば、危ない時の「あっ」で、時間が過ぎないで欲しいです。
2015年は濃密な年でした。歌手としても、役者としても。
年明けからゴールデンウィークまでは舞台を二本。
「マーキュリー•ファー」と「ベター•ハーフ」に没頭しました。
「マーキュリー•ファー」はイギリスが舞台で、
内乱がおこる街でどうにか正気を保とうとする兄弟と家族の物語でした。
危機がせまる時、人ひとりが「守りたい」と思って実際に守れるのはどれくらいなんだろうか。
せめて家族は、大切な人は、と考えるけど、
自分は誰を守り、誰を諦めるんだろうか。
そんなことを考えて、稽古中、自分がとても薄情になった気分でした。
まぁ実際はそんな状況で薄情も何もないだろうとも思いますが。
以前『聞こえる』というアルバムを出した時、
「世界が燃え尽きるまで」という曲について、ある方に、
「今にもこの世界が壊れてしまいそうな瞬間に家族や友達ではなく「あなた」が側にいてほしい、とあるけど、
この考え方は良くないと思う。家族が一番大事でしょう。子供がいる人だっているのよ。」
と言われたことがありました。
この人にとって、守りたいのは子供なんだなってことがはっきりしていて、その様がとても優しくかっこよくて、
そんな風に守りたい人のことを思い浮かべ、この曲の歌詞に疑問を持っていただけて嬉しかったことを思い出しました。
私はというと、気持ちは変わらなくて、
もしもそんな日が来たら、
家族や友達に対して悪いと思いながら、自分が選んだ場所にいるのだろうと思います。
ひとりぼっちかも知れないし、隣に誰かがいるかも知れない、ステージの上かも知れないです。
そして、そんな日が訪れないことをいつでも願っています。
「マーキュリー•ファー」の顔合わせの時、演出の白井晃さんがされた、
「外の国でおきている惨事は、対岸の火事ではない」という話は本当で、今年は国外でテロ事件が何度もあり、
特に稽古中と、初日を迎えようという日おこった惨事は、思い出すのも恐ろしくて、
共演者のみんなも悲しみと怒りと恐怖の中にいました。
奪われた命へ、その家族へ、お悔やみ申し上げます。
すぐに「ベター•ハーフ」チームに会えたのは救いでした。
演出の鴻上尚史さんも、先の惨事に胸を痛めていました。
鴻上さんは、
「世の中にはどうしようもないことがある、ということを知るのが「戦争」や「差別」ではなく、
「恋愛」であれば、それは切ないけれど、苦しいけれど、素敵なことなんじゃないかと思う」
とおっしゃっていて、
その言葉と、私が演じた小早川汀という役の台詞に、私自身も励まされました。
丁度制作を始めようとしていたアルバム『去年も、今年も、来年も、』を作る上で、影響を受けた言葉がたくさんありました。
心を込めていれば(必死、とも言うのかな)人との出会いや恋愛からも、
人生において大切なこと、はみ出してはいけないこととか、そういう道徳も学べますからね。
そういえば、
アルバムの曲作りをしている頃は舞台本番中で、
すでに次の舞台の台本を読んだり、
夏のツアーをまわりながらレコーディングしたりと、
思い返すと忙しなかったです。
次の現場にやや興奮したまま向かうのは、意外と切り替えがしやすく、むしろ気持ちが良かったくらいでしたが、
時間の使い方はもう少し上手くやらないと、
歌手と役者を両立するには全然ペースが掴めていないことも知りました。
そんな、2015年上半期でした。
下半期はシングル「ここにいるよ」を持って阿漕な旅2015~どこにいても~を夏から秋まで。
ツアー中、思い出作りと称して普段言えない「ばかやろー!」だの「だいすきー!」だの叫びあったのが忘れられません。
普段は抑えている気持ち、苛立ちとかはやっぱり誰にでもあるんですよね。
日々の鬱憤を普段から吐き出せる相手がいるとか、吐き出しやすい環境にいる人はいいけど、
そうはいかない環境にいる人もやっぱりいますし、それは子供でも大人でも。
抑えられなくなるまで溜め込んだ気持ちって力が強いから、
その気持ちをいっぺんにぶつけられたら、相手は受け止められないこともあると思う。
相手を傷つけることも。
だから、溜め込みすぎないように、
私のライブに足を運んでくれた方々には、日々の鬱憤を吐き出してもらって、
身軽になって帰ってもらいたいな、これからも、と思いました。
そうそう、
ツアーに出る前に三十路を迎え、たくさんの人に祝ってもらいました。
ありがとうございます。
振り返ると私は出会いを使い捨てて来たというか、
大切に出来ていなかったんじゃないかと思うので、
祝われるのは嬉しくもあり、申し訳ない気持ちでもありました。
そんな反省の意と、
次に祝われる時には素直に感謝出来るような自分にならなければと、
戒めの意も込めて、
「死ぬなよ、友よ」という曲を書きました。
これから一生歌ってゆける曲がうまれました。
ツアーでは、この曲を最後に歌いました。
ライブに来てくれた方々と、
「お互い、次に合う時にも笑顔でいよう」と、約束を交わしたつもりです。
ツアーのMCでも触れてましたが、2015年は終戦して70年目でした。
70年続いた平和をみんなで慈しみ、これからも育ててゆかなければと思います。
しかし、本当にこの70年間、日本はしあわせで、笑顔で溢れていたでしょうか?
争いは身近にもあります。
人ひとりの身近な出来事は「小さな」と言われてしまうかもしれないけれど、
その火種も、小さなうちに鎮めなければ、
大きくなってからでは、身近な人だけでは消せない炎になってしまいます。
家庭、学校、職場、住んでいる街、社会、国、と、どこを見ても、
弱い者いじめがなくならないことを悲しく思います。
そこに「弱い者」がいるのが悪いのではないですよね、
そこに「どこかに日頃の苛立ちをぶつけて憂さ晴らしをしようとしている自分」がいることが悪いですよね。
誰かに渡しても、ぶつけても、悲しみは増えるだけです。
自分で自分の悲しみを鎮火することでも、身近な争いを減らすことが出来ると思います。
今年は特別、
平和への祈りが込められた作品が多かったです。
音楽でも演劇でも、映画や、出会った人との会話にも。
私も、私なりに、
悲しみを自分で鎮火する方法というのをアルバムにしました。
人生には、上手くいかないこともあるんだと、
最初に知ったのは、人を好きになった時でした。
そして、
上手くいかないことの連続でも、人生に嫌気がさしても、
心穏やかに「自分で自分の悲しみを鎮火する方法」を知れたのも、人を愛することからでした。
人との出会いで受けた傷、
その傷を癒すのもやはり人と出会うこと、人を愛することだと、思うのです。
そんな私なりの「常に再挑戦」「常に再生」を包んだ、
アルバム『去年も、今年も、来年も、』です。
年を越しましたが、四季折々の景色と共に、去年も、今年も、来年も、その先も、
どうぞ聞いてください。
長文になりましたが、読んでくださってありがとうございます。
2016年が素敵な出会いや発見で「あっ」という間に過ぎますように。
本年もよろしくお願いします!
中村 中